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長崎家庭裁判所佐世保支部 昭和41年(少)1306号 決定 1968年1月09日

少年 Y・Y(昭二四・五・三一生)

主文

本件について少年を保護処分に付さない。

理由

(罪となるべき事実)

少年は長崎県北松浦郡○○町○○○所在の県立○○工業高等学校二年に在学し、同校学生寮において寄宿生活をしていたが、同級生のA、B、Cと共謀のうえ、昭和四一年一〇月○○日午前零時頃、一年生○田○充の上級生に対する態度が悪いとして就寝中の同人を同寮第一三号室に呼び出し、「お前は上級生に挨拶せん。なめとるか」などと責めたて、交互に同人の顔面を手拳で殴打したり腹部を足蹴にするなどの暴行を加えたが、右暴行により同人は腸管挫創、腸管膜断裂などの傷害を受け、腹腔内多量出血、胆管閉鎖による高度の黄疸栄養障害、全身衰弱のため、同年一一月○○日平戸市○○町○川病院において死亡したものである。

(適条)

刑法第二〇五条、第六〇条

(不処分理由)

一、本件は本件発生当時当地方においては高校生のリンチ事件として報道され、社会問題として種々の論議を呼んだものであるが、当時○○工業高等学校寮内では、上級生が下級生に対し理由なき暴力制裁を加えることがしばしば行なわれ、本件犯行におよんだ四人も上級生から暴力制裁を受けたりしたことがある。しかして、暴力制裁が行なわれていることは上級生の圧力によつて生徒間の内密の問題として口外する者がすくなかつたので学校当局が知らないままに過ぎることが多かつた。

本件も右のような背景のもとに敢行され少年らは上級生が暴力制裁するのを手伝つたことから、これに刺戟されて被害者○田○充には特別の理由もないのに些細なことから被制裁者として指名し暴行を加えたのである。被害者○田は受傷後腹痛を訴え医師の診断を受け、学校側もそのことは知つていたが、上級生の圧力で相撲をとつていて腹を打つたなどと関係者全員が口裏をあわせたため、医師も学校側も真相を知らないまま、被害者の治療が続けられたところ、容態は好転せず、順次悪化していき、事件発生後二〇数日にしてはじめて被害者が本件暴行を受けたことを話し、その四、五日後には死亡したものである。

被害者とても自己の治療のため真相を医師に話すことが最善であることは承知しない筈はなく、それにもかかわらず、長い間事件のことを口外しなかつたのは恐らく病気が治癒して再び学校に戻つた場合のことを考えてのことと思われ、医師が真相を最初から知つていれば或は生命をとりとめたかも知れないだけに、被害者やその両親の心情は察するに余りがある。本件は直接暴行を加えた少年ら四人の責任であることは勿論であるが、前記のような事情に照らすと、学校当局の指導監督が足りなかつた点や上級生達の下級生に対する誤つた権利意識や支配意識もその誘因となつたものといわなければならない。

二、本件が明るみにでた後は全校あげて被害者の回復を祈り、多くの生徒が献血したほか、本件のような暴力事件を繰り返さないことを誓いあつているし、少年ら四名の保護者らは慰謝料として金一二〇万円を被害者の遺族に贈つたが、教職員、PTA、生徒会も被害者の遺族に対し計三五万円を贈つて慰め、被害者の両親も少年らの非行を一応宥恕している。

三、ところで、少年は本件非行が明らかになつた後は自発的に退学し、本件審判を受けることとなつたが、少年は特に性格上の問題点もなく、非行歴もないうえ本件非行を深く反省し、被害者の冥福を祈りつつ勤労に励みたい希望を有していることが認められたので、昭和四二年五月二三日試験観察に付したところ、肩書地に居住して本件非行を反省しつつ、勤労に励み再度の非行もない。

四、以上の事情を総合して考えると、本件につき少年を保護処分に付する必要はないと認められるので、少年法第二三条第二項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 梶本俊明)

編注 他の共犯少年三名についても同様の理由で試験観察のうえ不処分に付している。

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